残念なIT産業への檄文(後編)

前回エントリーでは「10年泥」討論会から、学生のIT産業敬遠の話、天才だからって起業はないだろうときて、労働力の流動性強化の話をした。

今回は、トヨタ自動車から若干ネーミングをパクりつつ、具体的な雇用流動性強化プランを中心に、つづきを書いてみたいと思う。

正規雇用の労働流動性年功序列終身雇用のメリット

私も1回聞いただけなので、確信はないのだが、例の「10年泥」討論会の音声ファイル*1の最後に、西垣氏か誰か経営サイドの発言者から「雇用流動化も進んでいる」という感じのコメントが、若干笑いながら語られているのが聞こえたような気がする。

でも彼らの言う「雇用流動化」は、派遣社員偽装請負の非正規雇用者が中心であったり、35歳未満の若手だけの流動化であって、中堅以上の正社員の流動化は、あまり起きていないと思う。

この非正規雇用の問題は、計算方法によっては企業の見かけ上の労働生産性(正社員ベース)を上げることはできるかもしれないが、悪く言えば奴隷商人のような商売だ。そして、非正規雇用者や下請けを安く使うだけであれば、全体としての労働生産性は下がる一方であり、なんとか回避しなければいけない状況でもある。


一方、日本企業の年功序列の終身雇用というスタイルは、高度成長期には、もの凄く有効に機能した。資本が乏しい会社が、スキルや知識がない労働者に、低賃金で「10年泥」のように働いて貰い、個人も会社も成長した上で、報酬を「昇進」として後払いする。*2

しかしながら、今の時代は「10年は泥のように働け」と言われ、「10年泥」を乗り越えても、上がつっかえている上に、拡大成長している企業も少ないので、管理職として成長していけるのは、本当に一握りのエリートだけになる可能性も高い。

ただ、年功序列・終身雇用の仕組みは、今でもプラスに機能している面は多くあると思う。そこそこ優秀な人材を「一所懸命」へ追い込んで、じっくりとスキルを伸ばす。文章化やロジック化が困難な属人的ノウハウも終身雇用があればフル活用できるし、人材育成という意味でも投資がしやすく好循環を生む。

しかしながら、この年功序列は1つの「部分最適解」であって、全体最適は別のところにあるというところが問題だ。

ただし部分最適解なので、中途半端に変えると生産性も落ちるし、企業組織が崩壊する危険性もある。末尾にリンクを掲載する「成果主義の失敗例」なんかは、正にそういった事例だと思う。

だから、労働力の流動化と言っても、実現する方法を無視して主張していても意味がないし、経営者も部分最適を維持する方向で、自社の年功序列・終身雇用は堅持しようとするだろう。そこで、今すぐ具体的に実施できるような解決策を考えてみた。

雇用の流動化を実現する解決策1

雇用の流動化を実現する解決策として、まず第一に、外資系企業のような実力年俸制と、日本企業の伝統的な年功序列・終身雇用との「ハイブリッド型」の人事制度を整備すると良いと思う。つまりキャリアパスも終身雇用もないけど、青天井で実力主義の年俸を出すエキスパート契約社員系と、スタッフ系やマネージメント能力を中心とした正社員との2系統の人事体制だ。

もちろん、身分が不安定だから、「エキスパート契約社員」の方が年収を多くしなければいけないし、逆にその年収を得るだけの高い能力を持った人だけが「エキスパート契約社員」を選択するといった状況が基本になる。

こういったポジションは、最初はほんの一握りの人材だけでいい。そもそも高給を払えるほど優秀な人材というのは、極めて限られているという面があるだろう。ただ、それが「シンボルとしてのフロンティア*3」の機能を果たして、そこを目指す若者が増えれば、素晴らしい変化をもたらすのではないか思う。

この「エキスパート契約社員」は有期雇用契約になるので、契約期間満了近くで、人材オークションのような仕組みが作れると一番良い。細かく定義すると、年俸の半額ぐらいは固定額、残りは成功報酬型として変動するようにして、その成功報酬査定ベースとなる「達成した成果」を公表する仕組みとして、それを元に次期雇用契約をしたい企業が入札し合うような仕組みだ。

成果判定については、争議になることもあるだろうが、トラブル履歴を評価として残すことで、トラブルが多い人材や、トラブルが多い企業が分かるので、普通のオークションサイトほど上手くはいかないだろうが、若干自然淘汰が機能できる余地もあると思う。

情報処理推進機構IPA)といった組織にこそ、ぜひ、こういったシステムの開発普及をして欲しいと思う。


この仕組みは企業にとって見ると、オークションに勝たないとダメだけど、有期雇用で必要な人材をタイムリーに確保できるので正に「ジャストインタイム雇用」というメリットがあり、生産性は大きく向上する可能性を秘めている。

また、エキスパート側にしてみると雇用は不安定だけど、若いうちから大きく稼げる可能性を秘めているので、ここで経験を積みつつ開業資金も貯めて、自己資金をしっかり持った状態での起業へと進めるようなケースも増えるのではないかと思う。

なお、ここまでの仕組みは、契約社員の一種だし、人材オークションの契約手数料も企業側からしか取らなければ、現在の法律の中で、問題もなく実現し得ることだと思う。

雇用の流動化を実現する解決策2

でも、こういった「エキスパート契約社員」は、きっと企業側にとって見ると高価な買い物になる。生産性が高まるのは良いことだが、人件費が上がってしまっては企業は新人採用を控えたり、ネガティブな面も多く出てくるし、原資がなければ「エキスパート契約社員」も普及しない面があると思う。

そこで、ジャパニーズトラディショナルな仕組みを導入して、正社員側で人件費抑制を図るのだ。その名は「カドバン」。大相撲で大関が負け越すと、次の場所で陥るポジションの「角番」の応用だ。*4

この「カドバン」は全社員の10%を上限に適用できる「イエローカード的評価」を貰うと、次の年度に「カドバン」になる。そして、2年連続で「イエローカード的評価」を貰うと、正社員陥落だ。

例えば、使えない無能な部長さんがいるとすると、早速来年度から「カドバン部長」だ。この部長さんは必死で働いて生産性を上げて、正社員陥落せずに生き残るかもしれないし、くさって正社員陥落してくれれば、それでもやっぱり会社の生産性は上がるのだ。

あと、仮に正社員陥落しても、例えば3年以上勤めた社員は1年、7年以上勤めた社員は2年、15年以上勤めた社員は3年ぐらいは、副業OKで家族構成によって決まる最低年俸(4人家族で500万程度)の救済的なポジションを用意して、転職できる猶予期間や、能力向上して復職できる余地を設けることで失業率を下げるような工夫もあった方がいいかもしれない。

「カドバン」の評価を付ける上司がアホだと、部下がひどい目に合うが、そんな上司にはすぐに、カドバンフラグが立つだろうから、淘汰されるだろう。あとカドバンになった際に、もしそれが不当な可能性があるのであれば、社内の他部署からの引き合いが来れば「カドバン脱出」できるような仕組みにすれば、社内でも人材の流動化が発生して、生産性は上がると思う。

この仕組みを導入すれば、社員が疑心暗鬼になるような社風でない限り、みんなが自己能力の向上に励むのと、成績を上げられない社員が淘汰されるので、何にしても生産性は上がるはずだ。一方で、労働強化や解雇増につながるので、労働組合が納得しないだろう。ただ、非組合員(ようするに管理職)にはすぐに適用できるかもしれない。

あとは、労働基準法労働契約法の「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」というところに合致するかどうかだが、微妙なところで、ルールを明確にして法改正しないと無理なような気もする。


今の正社員雇用は、経営サイドから見ると解約できない「3億円の38年リース契約」みたいなところがあり、金銭面で慎重にならざるを得ないというところがある。そこで、洗脳育成しやすい(=他社や社会をしらない)新卒採用に偏るのだ。そして、いつでも切れる非正規雇用の確保にも走るのは経営的合理性があるがためであり、多くの不幸が起きているのだ。

だから、現行正社員だけを守る労働組合であったり、現行雇用法制による正社員の「既得権」を切り捨ててでも、こういった仕組みを立法して、特にロスジェネ世代と呼ばれる若者を救い、そして日本国としての生産性向上をして、税収を増やしていかなければいけないと思う。

06/15 追記
http://anond.hatelabo.jp/20080614121301
上記に『日本が「制度的に解雇できない」というのははっきり言ってしまえば間違いです。個々の企業文化の問題』という指摘がある。就業規則に「解雇事由」を明記しておき、それに該当する社員は所定の手続きを取ることで、原則としては普通解雇はできるので、現行の法令下で十分可能かもしれない。

日本経済全体の生産性を上げる「トロイの木馬

このエントリーは、「残念なIT産業」を中心に生産性を上げる方法を考えてきたが、IT化こそ、各産業の生産性を上げるための「切り札」という面がある。

もしも、IT産業で「エキスパート契約社員」が機能し始めると、おそらくIT系以外の一般企業も、そのIT系の「エキスパート契約社員」を採りにくると思う。

根本的な解決策は、ユーザ企業がこういう老害のいるSIerとは契約しないようにすることです。老害のいるSIerは、生産性が悪く高コスト体質なはずなので、ユーザ企業にとってもデメリットが多いはず。ただし、現状の日本は、ちゃんとしたSIerが少ないのも事実。

http://d.hatena.ne.jp/higayasuo/20080602/1212379147:Title

当然老害からは「例えば、これまではテスト仕様書を作成して顧客に提出の上承認をもらって作業を進めていた。君の話だとテスト仕様書の代わりにソースコードを書くようだけど、その場合顧客にテスト仕様書はどのように提出するの?顧客はソースコードなんて読めないよ?」なんて言う突っ込みだって予想されます。的を得ていないようで以外と核心を突いた質問がきたりします。他にも「とにかく結果を求める顧客に対してはどうするの?そんな顧客といえどもお金をくれるなら我が社は契約を結ぶ方針だよ?そういうプロジェクトではTDDはうまく機能するの?」とか言ってくるかもしれない。

http://d.hatena.ne.jp/tonocchi/20080603/1212462160:Title

もしも、SIerの顧客企業の情報システム部門が、「エキスパート契約社員」を雇い入れてくれれば、アジャイルを理解しはじめたり、大企業が暴利を貪っているような案件を、しっかりとした技術力を持ち、堅実な仕事をする会社へと発注するように変わる可能性が高い。

ハッキリ言って、大手SI企業の見かけ上の生産性が高いのは、実力は組織力を含めても3割程度で、あとの7割はブランド・コネ・付き合いの歴史(惰性)で高値受注できているのが理由だと思う。

実力で受注が決まるようになれば、小さな若手中心のソフトハウスでも高い生産性を持った企業であれば、受注を増やして拡大成長することができたり、成功例も増えてあたらしい開発手法もどんどん認められて、生産性は上がるし、老害なんて自然淘汰される運命になるだろう。

Java? web アプリなんて使い物になるかと言われ、お前は黙って言われたとおり働いていればいいんだ、俺たちはそれで上手くいったんだからこれからもそれで上手くいく、と言い放つ部長。

(中略)

「大学で 4 年間コンピュータサイエンスを勉強してきました? 新入りの生産性なんてのは皆同じだ」某 SIer でコレをエライさんに言われたとき、平静を抑えるのに必死だった。
http://d.hatena.ne.jp/kagamihoge/20080602/1212412174:Title

コンピュータサイエンス学科出身者を積極的に雇うように動いて欲しい。
http://d.hatena.ne.jp/kagamihoge/20080603/1212470372:Title

コンピュータサイエンス学科出身者を欲しがっている企業もいっぱいあるんだけど、こういうヒドイ会社が生き残っていて、ミスマッチというか悲しい誤解が起きていて、意欲ある若者を喰い、生き延びているのは本当に「残念なIT産業」だと思う。なんとか淘汰されてくれないかと、切に願う。


そして、「エキスパート契約社員」が一般企業にいれば、従来の情報システム部門が考え付かなかったようなIT化を構想して、IT産業への発注を増やしたり、画期的な生産性向上を実現することも増え、日本の景気もどんどん良くなる可能性を秘めていると思う。


でも世の中は急に変わらないから声を大にして言い続けよう

「ハイブリッド人事・ジャストインタイム求人・カドバン方式」って、書いてて恥ずかしくなるようなベタなネーミングだけど、労働力流動化から生産性を上げる具体的な政策として、十分実現可能なレベルの叩き台ではないかと思う。

大勢の人がこのエントリーに「はてブ」してくれたり、トラックバックして感想を書いてくれれば、もしかしたら、少しだけでも世の中が良い方向に変わり、みんながよりハッピーになれる可能性もあるので、もし共感できたら、ぜひそうしてもらえると嬉しい。

でも、世の中は急に変わらないし、はてな界隈やブログスフィアから情報を拾っている経営者なんて、日本全体から見れば皆無に近いだろう。


ただ、一部で老害って言われている経営者も、IPA理事長も、みんな優秀だからトップまで登っていることを忘れちゃいけない。彼らは間違いなく賢いし、メリットをしっかり語れば理解する力もある。楠氏の言うとおり彼らにもプライドやこだわりがあり、そんな簡単にはいかないのは分かるが、諦めてはいけない。

経営的に正しいことを言う人間は、たとえ疎まれても、経営者サイドが賢ければ賢いほど評価はそんなに下がらない。むしろ骨があるやつだな、ということで邪険にされながらも、裏では評価が上がっていることも多い。だから、みんなチャンスがあれば、賢そうな経営者やマネージャには声を大にして言い続けよう。

「血気さかんで本当に優秀な若手は、特別な契約社員で高給を積んでもいいから入社させて、活躍して貰う場所を作ろう。」

「優秀な派遣社員や下請けさんは、安く買い叩くのではなく、(高給の)契約社員にするか正社員にして高い生産性を発揮し続けて貰おう。」


そして、政治的にも諦めずに、声を大にして言い続けよう。

「若者を圧迫する年功序列・終身雇用を緩和して、労働流動性を高めて、景気回復を実現しよう」


*1:http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20080530/305172/?P=2 の中ほどにあるIPAX2008 学生と経営者との討論会 抜粋(mp3,4.8Mバイト,10分42秒)

*2:人口ピラミッドを無視して、ずっと「年功序列の終身雇用」で発展し続けられるという勘違いがバブルを生み、勘違いと実態の差分を埋めることでバブル後の長期不況が発生した根本原因の1つだと思っているが、それはまた別のエントリーで機会があったら書いてみたいと思う

*3:日本の問題点を全てズリっと解決する政策提案 - 起業ポルノのエントリーで思いついて、気に入っているフレーズ

*4:大相撲で角番制度は昭和の初めにできたらしいので、本当はそれほどトラディショナルじゃないらしい