内田樹氏の格差社会論への反論/秋葉原の大量殺傷事件

内田樹氏が「善意の格差論のもたらす害について」というタイトルの文章を掲載している。それも、今回の秋葉原の大量殺傷事件にあわせて、再掲したとのことだ。

今回の秋葉原の事件に「格差社会下層」に自分を「格付け」するという「物語」が深く関与していることにはどなたも異論がないだろう。
http://blog.tatsuru.com/2008/06/11_1205.php:Title

いろいろと同意し難い点が多いので、前向きな反論を書きたいと思う。


内田氏の言いたいことは、ある程度は理解できる。競争社会のダークな部分、必ず敗者を生み出すメカニズムであるというのはその通りだろう。

ただ、論理がおかしい点も多い。まず、内田氏のいう貧富の仕組み。

新石器時代に「貧困問題」は存在しなかったはずだし、レヴィ=ストロースが観察したマトグロッソインディオたちの社会にも「貧困問題」は存在しなかった。

これは当然の話でもあるし、欠けている視点もある。こういった原始社会は、今の基準からいけば、全員が飢えに苦しんでいたり、些細なことで命を落とした時代の話で「食糧備蓄ができない」からこそ貧富の差がないだけであったり、また「食料が人口を規定」しているのが一般的であって、全員が貧困問題に喘いでいる社会とも言える。*1

そして、こういった過酷な生活でこそ、間引きや姥捨て山といったことが、現実化してしまう社会であり、比喩としては微妙な存在だろう。

どのような社会でも能力の差があり、条件の差がある限り、社会的リソースの分配において多寡の差は発生する。問題を深刻にするのは、そのときに、「自分の取り分」について占有権を主張することは「政治的に正しい」と見るか、「疚しさ」を感じるか、そのマインドの違いである。小さいようだけれど、私はこれが決定的な違いではないかと思っている。

一定の富が存在する世界において、確かに占有権を主張しあわなかったり、「自分の取り分」をやましいと思って”他者に贈与する権利がある”と考える人が増えれば、貧困問題は起こらない。そして、弱者が贈与を受けて、全員がハッピーに暮らせる社会になれば、どんなに素晴らしいだろうと私も思う。

前述の原始社会ではなく、今の日本の富をもってすれば、「負け組」なんて一人も作らずに、全員中流社会が作れるんじゃないかと思えてしまう。

でも、問題は、それが机上の空論であることだろう。中高年や弱者を問わず、「勝ち組」が、今の「負け組」へ贈与すれば良いと考えているのが内田氏の理論ということになるが、曖昧な精神論であり、どういう政策として実施すれば良いと考えているかの具体策がない。

実際に苦しんでいる若者にとっては、「誰かが救いの手を差し伸べるから、そのまま苦しめ」と言っているようにも思える一方で、「手を差し伸べろ」というメッセージはやけに弱い。


現実に、お金をあまり稼げないから結婚できない若者がいて、お金が稼げないから子供を生めない若者がいる。正社員の比率という意味では、内田氏があまり重視しない世代間格差はもの凄く明快に存在する。データもあるしグラフも書いた。

http://d.hatena.ne.jp/T-norf/20080513/LostGeneChance

日本社会は将来不安でお金を貯めこんだ中高年がいっぱいいて、その貯金は裏返すと国や自治体の借金になっていて、政治的には、もう弱者救済政策を打つ余力はなくなっている。そもそも、その借金も、今の中高年世代の地位を保全するためのバブルの後始末でできたものであって、その負債を背負った状態で政治の舞台に上がって改革を進めようとする若い政治家を、カネの亡者のように言われるのもかなり気に入らないけど、これはちょっと脱線したので、本論に戻ろう。

結論を先に言ってしまえば、私は「格差はつねに存在したし、これからも存在するであろう。だから、格差を廃絶することはできない。できるのは格差が社会に壊乱的要素をもたらさないように扱うことだけである」

内田氏の言うとおり、格差社会は好ましいことではない一方で格差は消せないし、これからも存在するだろう。

でも「格差」と「競争」を同義に考えてやいないだろうか。あと、一番言いたいのはこれだが経済をゼロサムゲームだと勘違いしてやいないだろうか。

そして最大の問題は、やはり「世代格差」であり「希望格差」だ。

昔の日本社会は、一生懸命に働けば豊かに暮らしていけるという希望が持てて、そして我々の上の世代は一生懸命働いて、現代日本の礎を築いてくれた。ただし、土地神話年功序列も年金も全部幻想だった。

もしも、土地神話年功序列も幻想でなかったのであれば、年功序列に従って報酬をしっかりと受け取って貰って良かっただろう。でも、人口ピラミッドは歪んでいて、中高年が多い人口比率で年功序列を継続しようと思うと、会社が破綻するか、若者から搾取するかしかなくなった。そして今まさに後者が実行され続けているのだ。

この過剰な年功高給と、あまりにも不利な非正規雇用はオフセットして、バランスされなければ、若者は希望を失う一方だし、少子高齢化は進み続けて、日本社会は崩壊しかねない。

前々回のエントリーでも書いたけど、私は「セーフティネットなどの福祉政策も重視しつつ、その財源確保のためにも、競争を強化する経済政策を取った方が良い」と思っている。そして、すこしづつでも雇用の流動化が進めば、労働力という多種多様な財も効率的に分配され、「若者の意欲」も変わり、社会の生産性が上がり、社会全体で分配できる富は増えると思っている。


内田氏の「善意の格差論のもたらす害」は、弱者が入れ替わるだけでは意味がないという意味では正しいし、氏が言う「格差社会論」の問題点指摘の枝葉論では正しい部分は多くある。

でも時代は変わっているし、時代は歪んでいる。ファンタジーに惑わされてはいけないと思う。


正直に言うと、今回の秋葉原の大量殺傷事件で何か書こうと思って、でも書き出すとネガティブな内容が多く、気が滅入っていた。そこへタイムリーに内田氏が蒙昧とも思えるような主張を出してくれて、前向きな反論が書けて救われたような気がする。

『「格差社会下層」に自分を「格付け」するという「物語」』は、もちろん物語の面もあるが、リアルな生活という面の方が強くはないだろうか。

今回の本当に悲しい事件で、理不尽に亡くなられた犠牲者の方々の死を、少しでも意味のあるものにするためにも、ナイフとか歩行者天国の規制じゃなくて、本当の意味で再発防止に繋がるようなことが実現できないだろうかと思う。

例えば、不幸な若者を減らすための利益団体か政党を作るとかどうだろう。そして、募金でも署名でも街頭演説でも党員募集でもいい。単なる捌け口でも、ノリでもいい。弱者救済を訴えるような集団活動ができる場があり、孤独ではなく共闘できるような組織ができ、そこへ孤独な若者を引き込めると似たような犯罪は減ると思う。

そして、内田氏の言う「自分の取り分をやましい」と思う「勝ち組」の「他者に贈与する権利」を受け取る窓口としても有効じゃないだろうか。

ネットとかケータイとか便利なツールはいっぱいある。足りないのはリーダと組織だけのような気がする。

P.S.
06/11 22:50追記
http://www.gatenkeirentai.net/:Titleを発見しました。非正社員系ユニオンはいくつかあるようですね。

06/13 07:45追記
関連記事を掲載しました。
http://d.hatena.ne.jp/T-norf/20080613/akiba2:Title


*1:疫病とか事故死など、食料ではないものが人口を規定している社会であれば、食料には困らないけど、やはり過酷な生活であることには違いない