複製コストがタダのものには貨幣価値はないの?

池田信夫氏が、めずらしく経済学分野で極論を展開している。多分、どっかからツッコミが入ると思う(そう信じたい)のだけど、私にはトンデモに思える一方で、コメント欄やブクマには賛同意見が多いようなので、反論を書いてみたい。


まず、元々は『週刊ダイヤモンドの岸博幸氏の「ダビング10で市場縮小の恐れ」』への反論であって、この部分では異論がない。

確かに、岸氏の外部経済効果(ググって混乱したじゃないか)はおかしい。また、私も週刊ダイヤモンドの掲載文を読んでいないので断言はできないが、価格が上がると生産量が増えるという供給メカニズムで、コンテンツマーケットを説明して「価格決定」するという説明は、明らかに何かが間違っている可能性が高いと思う。

それを明快に指摘した部分では池田氏は良い仕事をしているとは思うが、ただ池田氏の主張している内容はかなり過激だ。この反論の中で、池田氏はわざわざ、グラフ中で「1商品あたりの原価」を示す曲線を表示しながらも、それを無視するような表現を微妙に織り交ぜてきている。

池田氏の主張は、ミクロ経済学的に独占が成立している場合は、「限界費用」と「限界収益」の一致点から市場価格が決められるが、一方で複製コスト=生産コスト=限界費用が極小であり「市場が競争的」であるならば「コンテンツの価格はゼロに近づくのが正しい」となっている。

でも、ここで「独占」は分かるが、「市場が競争的」って何だろう。どうして固定費をかけてコンテンツを製作したタイトルホルダーが、フリーライダー*1と市場競争をして、赤字にならなければいけないのだろう。

また、続けての「Gross National Cool」という池田氏のエントリーは、詳細を解説してくれているが、微妙な比喩をしているところもあり、本質的にはおかしな点が多い。

たとえば新しいファッションが発表されると、似たような服が同じシーズンに大量に出回るが、デザイナーは「著作権」なんか主張しない。ブランドの価値を守ることで利潤を上げるのだ。コンテンツの場合も、NHKですらJoostを使い始めたように、レコード会社もP2Pで安全なファイルを配信して製品差別化すれば、料金をとれるだろう。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/a0d752940bf91ff286458b5ec09b6975:Title

考え方にもよるが、ファッションブランドはコピー商品を告発するし、P2Pだろうが何だろうが、先のエントリーによれば、「コンテンツの価格はゼロに近づくのが正しい」はずで、「安全なファイルを配信」するだけが目的であれば、普通に広告料で稼ぐウェブサイトで良くて、P2Pにする意味が分からない。*2

もちろん作品をつくるための投資は必要だが、ハリウッドのように巨大な資本を投じて「マトリックス」とか「チャーリーズ・エンジェル」のような安っぽい漫画を量産することは、本質的な情報生産ではなく、鍋釜と同じようなものだ。長編映画や長編小説の誕生が資本主義と軌を一にしているしていることで明らかなように、それは大量消費社会で情報に一定のボリュームを出して数千円の価格をつけるための奇形的な作品形態にすぎない。それはもちろん今後も残るが、衰退してゆくだろう。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/a0d752940bf91ff286458b5ec09b6975:Title

主観・偏見部分はともかくとして、「作品をつくるための投資」はどうやって回収すれば良いのだろう。貨幣ではなく「情報の流通量と質」で評価が上がって、それからどこで稼げばいいのだろう。修行しているうちはいい。でも収益が上がらなければ、それを本職にすることはできないし、池田氏のエントリーの結論である「契約ベースで多様な情報の流通形態を創造する」って、肝心な部分が雲を掴むような話なので、どうもシックリこない。


池田氏の論説は、1つの極論としては面白いし、特に今のコンテンツ価格を、もっと下げた方が、供給サイドも、消費サイドも豊かになれるという観点では特に興味深い。ただ下記の例えでもそうだが、コンテンツの複製・流通コストと、コンテンツの創造コストを、あえて混同しているように思える。

たとえば私が論文を書くとき、昔は図書館へ行ってコピーをとったり有料データベースを検索したが、今は新しい論文はほとんどウェブでDPとして入手できる。これによって私の効用は大きく増加したが、オンラインデータベース業界はほとんど壊滅したので、GDP統計ではマイナスだろう。つまり市場を通さないで流通する情報が増えると、GDPはしばしば逆指標になるのだ。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/a0d752940bf91ff286458b5ec09b6975:Title

ここで、GDP統計的にはマイナスである一方で豊かになっているところは大賛成だけど、有料データベースはコンテンツの「流通」業の一種なので、ネットに淘汰されるのは、ごく自然だと思う。*3


池田氏のコンテンツ論で、『多額の宣伝費をかけて「メガヒット」で分子を大きくするビジネスは、もう限界がみえており、ウェブとともに滅亡する恐竜だ。今後のコンテンツ産業のフロンティアは、iグーグルやアマゾンの「おすすめ」のように分母を小さくし、個人化することだろう。』というところは部分的には賛成できるが、複製コスト(=限界費用)が極小だから、価格も極小化するべきという主張は、ソフトウェア産業・ゲーム産業にあてはめて考えれば、異常であることは明らかだと思う。*4

池田氏の主張は、コンテンツを創造するコストを無視できるほど小さい場合に限って言えることであり、そういった意味では、プロのクリエーターによるコンテンツについては、快適なコピーコントロールを実装して、例えば販売数量が増えるに従って価格を漸減させなければ累進課税(若手育成税?)となるような実装をするのが、まだ現実的な解ではないかと思う。

池田氏の「契約ベースで多様な情報の流通形態を創造する」というところも気になるところではあるが、単に既存のレコード会社を淘汰する、低コストで流通させることができるネットレーベルや、新たな流通回収スキームを作る企業が登場すればいいだけだと思うが、いかがだろう。


P.S.
もしかすると、最後のセンテンスで、池田氏と私は近い事を言っているかもしれない。あと、新たな流通回収スキームは、Appleが作っていく可能性もあるのではないかと思う。

*1:経済学的には、市場で商品を買わず、正の外部性を享受する者という定義になると思う。→wikipediaフリーライダー

*2:トラフィックが問題ならば、技術的にはマルチキャストだろう

*3:私もネット全般に言えることだと思うが、社会を効率化して、デフレータ以上にGDPを縮小する圧力になっている部分があると思う。

*4:他にも、独占と限界費用については特許産業全般にいえることで、特に製薬業界なんかは、限界費用は小さい一方で新薬開発コストは莫大であり、確かに独占価格は問題ではあるが、必要悪という形で長年許容されてきた面があると思う