経営と貨幣価値についての極論/例えば燃料高で苦しむ漁師さん

前回エントリーには、すごく良いトラックバックも頂いた。価格は(一番真っ当な表現としては)需給関係で決まるので、池田信夫氏のエントリーからの派生した議論が中心にもかかわらず、ほとんど説明もなしにタイトルに貨幣価値は経営と顧客が決めると付けたのは大失敗で、我ながらダメエントリーだったと思い、かなり反省している。

多分、「貨幣価値は経営と顧客が決める」は極論というか、ヘンな角度から私が物事を見ているところから生じている。そしてこれは一般的には「間違ってる」という評価が正解だと思う。

ただ、私がどうしてこんなことを考えているか説明しつつ、経営と価格(貨幣価値)についての一面を語ってみたいと思う。


まず、私の中では経済学とか経営学は、起業家になった場合に何か役立てば幸いというように考えて知識吸収*1をしいる。そうした知識吸収をしつつも、まあ実際に被雇用者としてはビジネスもしているわけで、経済学とか経営学の知識を現実にあてはめて考えてみることも多い。

ただ、どんな商売をするにしてもライバルとの差別化を考え、いかに独占を作り出すか、独占できなくても寡占状態を作って有利なナッシュ均衡に持ち込むかとか、弱小チームだから強者がいないマーケットを求めてランチェスター戦略を取るべきだとか、まあ、ようするに、完全競争市場なんて実在したら困ることばっかり考えている。(だから経済学でも特に、基礎的なところは役立たないことも多い)

完全競争市場だったら優秀な営業なんていらないはずだけど、実際には営業部隊の優劣は損益に大きな影響を及ぼすし、広告宣伝での知名度確保・ブランド確立なんてことにも企業は大金を注ぎ込んで、そして注ぎ込んだ以上の収益を顧客から得ている。


もしも大きなマーケットへ「差別化しにくい商品」で参加するんだったら供給側のプレイヤーも多数いて、完全競争市場的に需給メカニズムで価格は決まるが、よほどの新技術や大資本の力で、大きくコストを下げるとかできないと、後発が利益を上げることは困難なので、起業を考えた場合、そういう選択自体が極めて少ないと思う。

さらに、オープンソースビジネスのように流通する商品価格はゼロだけれども、「サービス」で儲けたり、「知名度」を確保して別のところで収益を上げるようなビジネスモデルもあるし、多くのウェブ系企業がそうであるようにコンテンツは無償で提供して広告収入で稼ぐこともある*2。ただ、こういうケースでも、あえて価格ゼロのマーケットを作っているとも言えると思う。

逆に、情報財を扱うケースでも、競馬予想サービスとか、ピンポイント天気予報情報の提供みたいに、時間的制約があったり顧客毎に特化した情報の場合は、必ずしも情報の対価はゼロになるとは限らない。


確か、京セラ創業者の稲盛和夫氏も「経営とは値決めである」みたいなことを言っていたと思うのだけど、1つの考え方としては、参入するマーケットであったり、提供する商品の品質・効用であったり、販売価格の設定であったり、経営判断が貨幣価値を決めている面は大きいと思う。

そして、経営の目的は一般的には「利益の最大化」なので、どれだけの顧客を確保できるか、顧客が満足して繰り返し対価を払うかどうかというところが最重要の課題であって、最も収益が得られる「価格」を決定しようとする。

ここで競合他社というプレイヤーが出てくると、自社の顧客を他社に奪われないよう競争力がある価格設定が必要になり、結局は価格は市場的であったり、ゲーム理論的であったり、単独のプレイヤーがコントロールできる範囲は狭くなってくる。


でも繰り返しになるが、どのマーケットに参入するかも含めて経営判断であって、経営者は市場に従属しているケースもあれば、市場が経営者に従属しているケースもあるし、起業する場合は、それは選ぶことができる。

例えば、原油高で苦しむ漁業関係者。魚という財は競り市で価格が決まるから、原価を転嫁した価格設定ができず漁師さん達は困っていて、極めて完全競争に近い状態にあると思う。(むしろ、大手流通小売の仕入価格低減策で、逆カルテルすらあるかもしれない)

原油高で苦しむ漁師さんは、一生懸命燃料費を抑えても、収益が減ってしまったり赤字になる。収益が悪化したら、市場から撤退する漁師さんが出てきて、生産量が減って価格が上がるのを待つしかない。このマーケットにこだわる限りは、脱落者が出るまではみんな赤字や収益減に耐えなければいけないし、結局は脱落者が出てしまう。

ただ、ここで漁師さんと漁船という生産資源を持った個人経営者(漁師さん)は、例えば民宿と提携して「夏休み漁師体験ツアー」みたいなものを企画して、親子連れを載せて燃料をあまり使わない沿岸で漁業体験をして、獲れた魚をその場で食べれたり、おみやげに持ってかえれるような商売をはじめるとしてみよう。

早朝に出漁して、魚を水揚げして、洋上で日の出を見て、獲れた魚を食べるというアトラクションだ。「その体験、プライスレス。マスターカード」じゃなくて、、、もちろん対価を頂くんだけど、その価格設定は原価以上に設定できる。もし、別のお客さんをご紹介して貰ったら、お礼にその新規のお客さんに大量のおみやげを渡すので、分けてまた食べて下さいという特典をつけて、紹介新規顧客を狙って拡大を目指すのもいい。

こんな体験をした子供達は、きっと魚好きになるし、日本中でこれを何年も続ければ、じわじわと魚の需要も増えて、値段も上がるかもしれない。


まあ、これはただのファンタジーで本当にやっても儲からないかもしれないけど、新規事業を考えるにあたっても、優良企業を目指すにあたっても、できるだけ完全競争市場を避けるというのは鉄則といっていいほど収益に結びついていると思う。

そんなことをしたら消費者・顧客は不幸になるじゃないかという話もあるだろうけど、価格以上の効能を得て貰うことができれば、決してそうとは限らない。いままでに存在しなかった財やサービスを作って満足して貰うことができれば、顧客も企業もハッピーになれるし、それこそが社会的に起業が必要とされる一つの要因だと思う。


すごく長い言い訳だったかもしれないけど、「貨幣価値は経営と顧客が決める」と考えているのには、こういった背景がある。ただ、前回エントリーの唐突なタイトルがダメダメだったのは間違いない。修行中の身ということで、どうかお許しを。

*1:専門書や教科書じゃなくて、新書や一般書レベルなので勉強とは言わないでおく。MBAにも内容に興味がないわけじゃないけど、年齢面・費用対効果・語学力などなど考慮して、取るつもりはない。

*2:広告収入モデルの場合は、真の顧客は広告主で、アクセスしてくれる利用者とマッチングさせているだけであり、広告料は競争市場的に決まっているという面もある。