政治や経営とトリアージ

最近話題になっていた、政治や経営とトリアージについて、いまさらながら総論的な話しをしてみたいと思う。

まず、政治や経営について、トリアージについて語るのであれば、「トリアージをしなければいけない状態を全力で回避する」ということに尽きると思う。また、政治や経営で擬似的にトリアージのようなことを実施しなければいけない事態となった場合には、そのような事態を招いた為政者や経営者がちゃんと責任を取るという前提も重要だろう。


一方、現実の災害現場等では、やむなく本当のトリアージをしなければいけない事態が訪れることがある。そういった現場においては、粛々と、心を鬼にしてトリアージを実施するしかない。ここに戦略性なんてなく、むしろあるのはタクティクスだと思う。

そして助けられないと判断された人には黒いカード置いて、特に他に救える可能性が高い人が待っている医療関係者はそこへ対応をすることになる。こういった事態を経営学の例とすることは不適切であり、このような事態が世の中で普通に起こっていると考えて政治や経営を批判するのもまた、不適切だと思う。

極端な例を挙げるとすると、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%93%E5%99%A8%E3%81%8F%E3%81%98:Titleの問題に経済学をあてはめるとおかしくなるようなものだと思う。


なお、政治や経営についての話でいけば、もしも本当に破綻してしまったときは、ほとんど全員道づれになるということが多いだろう。また、破綻に至らずに運営されている状態においては、声の大きい者、権力を有している者の意向で組織が運営されていて、その声や権力のウェイト付けを踏まえて資源が分配されていることが多いと思う。

確かに、全体最適というのはまやかしであるケースも多くあり、それは権力者の欺瞞かもしれない。ただ、政治や経営というのはゼロサムゲームじゃない。最適化すれば、より多くの財を生み出し、全員がよりハッピーになれる場合も多々あることは忘れてはいけない。

ただ、全体的にリソース不足となって、一部の人間に犠牲を強いるような状態となることもあると思う。これは冒頭に述べたように、本来は、そういった事態に至るような組織運営をしてきた人間が真っ先に責任を問われるべきであろう。ただし、その対象が、例えば「小泉・竹中・橋下」らであると考えるのは、私は間違いだと思っている。


組織運営というのは極力不満が最小化するように運営されるのが基本だ。もしも経営者となった場合には、そういった対応をすることも必要となってくる。ただし、その結果として、一部に目立たない大きな不幸を生み出すこともあり、それを見抜く目というのもまた必要だ。

例えば人件費をどうしても減らす必要があるケースで「採用を停止し定年退職による自然減で対応」っていうのは反対する声が大きくならず、「全職員の給与10%カット」というのは反対の声が大きくなる。そのため、為政者や経営者からすると、前者を選択するのが合理的となる。ただし、これは圧倒的に「若者にだけ苦しい思いをさせる」社会選択だ。年金問題後期高齢者医療問題も似たような要素を孕んでいる。

だから、真の全体最適化を考えたり、若者が声を上げることは、凄く重要だと思っている。そして、何を批判の対象とするかということも、常に考え続ける必要があると思う。