格差と希望/大竹文雄著

格差と希望―誰が損をしているか?

格差と希望―誰が損をしているか?

本書は、著者が経済誌や新聞で連載した内容を再編したスタイルになっている。具体的には、日経新聞の「経済論壇から」が中心となっていて、次いで週間東洋経済の「経済を見る眼」が多く、その他も少々といった感じだが、確かに格差論をテーマとすることが多く、本書のタイトルに違和感はない。

このスタイルには1つメリットがあり、いろいろな経済的テーマについての文章が、比較的短い文字数で読めるという面がある。一方でデメリットとして、時系列を追う感じで2〜3年前の時事問題と関連した話題が多く、著者の主張全体を理解するという意味ではストレスがあると思う。

私も読んでいて、最初はデメリットを多く感じたが、読み進めるにつれて違和感はなくなった。ただ、これは個人的に、まとまった読書時間が取りづらく、また日ごろ経済誌や日経を読んでいないという私のライフスタイルに合致したところが大きいかもしれない。


私が本書を買ったのは、もちろん日本の経済問題としての「格差」に興味があったというのがあるが、著者の大竹氏が労働経済学という格差問題に近いところを専門とする阪大教授で、権威ある経済学者の格差論を読んでみたかったというのが一番の理由だ。大竹氏は「新前川レポート*1とも言われたレポートをまとめた「構造変化と日本経済」専門調査会のメンバーでもあり、また阪大の社会経済研究所という部局の所長でもあり、権威があるという意味では、間違いないところだと思う。

これは、先に一部で話題になった『「はだかの王様」の経済学/松尾匡』の読後感があまりにもイマイチというか、私の感覚に合わなかったというところからの口直しという欲求もあったかもしれない。

そして、その目的は満たされた。

私は経済学はシロウトだが、大竹氏と多くの点で同じような問題意識を持ち、原因認識も同じであることが分かった。そして、少子化の是非など、いくつか意見の相違点はあるが、同じ解決策を考えて、また求めていることが多いことも分かった。


私は、どちらかと言えば「ネオリベセーフティネット福祉の並行推進派」だと思うので、単に大竹氏と私の志向が極めて似ているという面があるかもしれない。ただ、マスコミに比べて経済論壇はまともな意見が多く、当然かもしれないが、ポピュリズムを良しとしないという点では救いを感じた。

これは逆に言うと、日本のマスコミには失望を覚えることが多く、ポピュリズムではなく、良く考えた論理で記事を書いたり、キャンペーンを張るぐらいのことを、たまにはやって欲しいと感じる。


ところで、本書には過去連載の再掲だけではなく、要所要所での追記があり、その中で連載当時を振り返ったコメントがあり読み応えがある箇所がいくつかあった。その中で特に紹介したいのは下記の文章。

(赤木氏の『「丸山眞男」をひっぱたきたい』という論説について2ページにわたって擁護したまとめとして)
格差社会論の中には規制緩和にその原因を求めるものがあるが、その多くが既得権の維持を目的にしていると私は本書で繰り返し書いてきたが、赤木氏の主張と私のそれは一致する。既得権を排除する方法は戦争ではなく、市場競争をさらに促進することだ。そうすれば、中高年が既得権によって生産以上の賃金をもらうことは難しくなり、若者の雇用が促進される。もう一つの方法は、所得税率や資産税率を高くし、そのお金で若者を雇用することだ。いずれにしても若者と中高年の既得権者の格差が縮小される。
p168-169 「働く貧困層」という問題の本質−−−教育訓練が急務に【追記】

本書を読んで一番良かった点は、こういった主張を、権威ある経済学者がしているというとことが分かったということにあるように思う。

ただ1点残念だったことは、経済学者の視点から見て出てきそうな「デフレ」と「若年者貧困」の関連性については、あまり記述がなかったように思えることだ。これを逆に言うと、中高年の既得権を破壊する一番単純な方法はインフレであり、賃金の下方硬直性を単純に打破できる経済政策と言えると思う。もちろん「インフレ」には広範囲の影響が出るし、よくあるリフレ論争へ帰結する話でもあり単純に結論がでる話ではないが、本書のタイトルからすると、ぜひ読みたいテーマだったと思う。


こういった面からも、できれば著者には、「構造変化と日本経済」専門調査会のようなバイアスがかかった集団でのレポートでもなく、過去に掲載した文章の寄せ集めではなく、書き下ろしで一般向けの格差論の書籍を期待したいと思う。

ただ、著者のホームページのプロフィール欄を見ると9個もの委員会に参加しているようなので、研究論文だけでも半泣き状態かもしれない。各委員会での活躍を祈るしかないような気もする。

経済産業省ジョブカフェ評価委員会委員 2004年4月〜2009年3月
大阪市住まい公社経営監理委員会委員 2006年8月〜2010年3月
内閣府税制調査会専門委員 2007年4月〜2009年11月
総務省 政策評価独立行政法人評価委員会専門委員 2007年9月〜2009年9月
国立社会保障・人口問題研究所研究評価委員会委員 2007年11月〜2009年10月
内閣府経済財政諮問会議専門員 2008年2月〜2008年10月
経済産業研究所 労働市場制度改革研究会委員 2008年5月〜2009年3月
文部科学省 今後の幼児教育の振興方策に関する研究会委員 2008年3月〜2009年3月
日本学術振興会 事業委員会委員 2008年7月〜2009年3月

そして、本書内容で「反対!」と思った箇所1つ、「なるほど!」と思ったところを2箇所、「禿同!」と思ったところを6箇所を短く引用して紹介したい。私の意見は反対と思った箇所にだけコメントする。

現状認識が多く、一方で解決策は少ないが、特に若い世代にこういった認識を持つ人が増えてくることで、じわじわと政治的にも解決策が出てくる方向へ動くのではないかと思う。個人的には、若い起業家がビジネスで既得権を破壊するような動きに加担できるといいなとも思うけど、資本の力を逆転するのはなかなか厳しいので、いずれ起業して成功できるといいなぁという程度に考えておきたいと思う。

引用その1「反対!」

そもそも少子化はそれほど大きな問題なのだろうか。確かに「少子化による人口減少は日本の経済に悪影響を与える」というのが、多くの人の常識的な考え方かもしれない。実際、人口が減っていくと衰退する産業も多い。教育産業はその典型である。もっとも、だからといって、人口減少によって日本人が貧しくなるわけではない
p76 少子化社会の虚実を問う−−−大国幻想との決別を

私は、人が子供を欲するのは、DNAに刻まれた極めて原始的な幸せだと思う。今の20代、30代世帯では、経済的な事情で、子供を生む人数を制限するということは間違いなくあるし、子育てできるだけの収入がないから、結婚しないことを無意識に選択している若者も多いと思う。

これは経済問題としては最大の問題であり、格差問題だと思う。逆に言うと、子供を作らないことに経済的インセンティブがあるような社会事情さえなくせれば、年収300万だろうが、格差はあっても、かなりの幸せは維持できるのではないだろうか。

具体的には、親の教育費負担を軽減することと、子供を養育していない人の税金や社会保険料の負担額を上げるような制度設計が必要だと思う。

引用その2、3「なるほど!」

教師の室の低下という問題は、日本だけで生じているわけではない。米国でも大きな問題とされてきた。米国で教師の質が低下した理由として経済学者が指摘してきたのは、1960年代から始った労働市場における男女平等の進展である。どうして女性の雇用機会均等が教員の質に関係あるのだろうか。昔は女性にとってフルタイムの仕事というのは公務員あるいは教員に限られ、優秀な女性がそうした職業に就いた。逆に言うと、学校は労働市場における男女差別のおかげで、学業に優れた女性を安い賃金で雇用することができた。
(中略)
日本でも同じことが言える。神戸大学講師の佐野晋平氏は、男女間賃金格差が1%縮小すると、教員養成系学部の偏差値は約0.5%低下することを見出している。しかも、その効果は都市部ほど大きい。
p170 Column18.男女格差解消の思わぬ結果

二年間にわたって行われた、三〜四歳のアフリカ系米国人の恵まれない子供たちに対する午前中の学校での教育と、午後からの教師の家庭訪問を含む介入実験の結果は次のようなものだった。同じような境遇にあった子供たち同士を四〇才歳になった時点で比較すると、介入実験を受けた子供たちは、高校卒業の比率、所得、持ち家率が高く、婚外子をもつ比率、生活保護受給率、逮捕される者の比率が低かった。
これは、介入を受けたグループの子供たちが高い学習意欲をもったことが原因だという。「ペリー計画」の投資収益率は15〜17%という非常に高いものになるという。(中略)
学校教育の段階で恵まれない子供たちへ援助しても、就学以前の家庭環境が悪いとあまり効果がない。米国の研究によれば、親の所得階級による子供の数学の学力差は、6歳時点において既に存在し、その学力格差はその後も拡大を続ける。
p204 Column22.脳科学と経済学が教える格差対策

引用その4〜9「禿同!」

不況が貧困者を増やした可能性は高いが、規制緩和との因果関係は明確ではない。にもかかわらず、所得格差の拡大の解消策として所得再配分制度の拡充ではなく、規制緩和路線の再検討が議論されるのは不思議な光景である。
p102 「格差社会」をめぐり論争−−−市場原理の賢い利用を

不況が若年層に集中的に影響をあたえたのはなぜだろう。労働者全員の賃金を下げて、若年者の採用を続けることもできたはずだ。産業再生機構COOの冨山和彦氏(「論座」四月号)は、外部規律が働かなかったことが問題だと言う。冨山氏は、日本企業はゲマインシャフト(共同体的社会)であることが競争力の源泉であると同時に、外部規律がないと堕落する組織であると指摘する。
末期症状を起こしているゲマインシャフトは、既得権益を守るあまり、排他的になりやすい。
p110 若年層の格差問題をめぐって−−−打開の道は教育改革に

コムスン問題で、「金儲けを考える人が福祉の分野に参入してはいけない」という議論をした後で、年金記録問題で「社会保険庁はけしからん、民間なら考えられない」という議論をしていたのだ。
それぞれの議論はもっともらしく聞こえるが、両者を合わせて聞けば、完全に矛盾した議論である。
「民間だから・・・」「官だから・・・」という問題ではないということに、私達はそろそろ気づいてもいい。耐震偽装問題も同じで、民間に任せたから問題が起こったのではない。監督・罰則の仕組みに問題があったのだ。いずれも、利潤を増やすため、仕事をさぼるために不正が行われたという点で共通している。あらかじめそういう可能性を考えて制度を設計することが必要とされているのだ。
p134 Column14.矛盾

「格差拡大を引き起こしたのは規制緩和だ」とか「環境問題を引き起こしたのは大企業だ」とか「お金がすべてだという風潮を広めたのはホリエモンだ」という議論はやかりやすいし、自分以外のものに責任を転嫁できるので心地よい。
しかし実際には、特定の悪玉が問題を引き起こしているのではなく、私たち自身が問題を引き起こしていることが多い。たとえ非合理であっても名目賃金の低下をきらう一人ひとりのちょっとした気持ちが、就職超氷河期を生んだのだ。
p151 Column16.悪玉論は心地よい

大阪大学講師の杉本佳亮氏らは、高齢化が公的教育の質の低下をもたらし、それがさらなる少子化要因になっているという興味深い論を主張している(週刊エコノミスト二月六日号)。杉本氏らによると、高齢化が進むと、年金、医療、介護といった高齢者向けの公共サービス増加への政治的圧力が強まり、その分教育への公的支出が低下する。一方、グローバル化や技術革新によって高度な教育の必要性が高まってくる。
高い教育費負担に直面する若年世代は、子供の数を減らすという形でこの問題に対応せざるを得ない。
p198 少子化時代の「教育改革」−−−世代間の連携が重要に

タバコ税や酒税には価格メカニズムを通じて喫煙や飲酒の依存症を引き下げる効果がある。ワーカホリックの場合に価格メカニズムを使うとすれば、労働時間に対して累進的に企業に課税するか(つまり長時間労働への罰金)、労働時間に累進的に税金をかけることだ。しかし、労働時間そのものを正しく計測できないので、問題は残る。
p211 「雇用の質」と格差問題−−−冷静な議論が必要に 【追記】

*1:前川レポートは元祖の翌年の1987年5月に発表されているらしいので、平成版前川レポートとかの表現の方が正しいと思う。こちらは、あまり評判が良くないようだけど、興味がある方はこちらを参照のこと。→グローバル経済に生きる −日本経済の「若返り」を −(PDF:489KB)